「デカダンス」に出会えてよかった
オリジナルアニメーション作品「デカダンス」を観ている。
全12話の作品だが、11話(執筆時点での最新話)まで観て、この作品に出会えて良かったなあと心から思ったので、この気持ちを書いて残しておくことにした。
主人公二人の関係性の尊さ。
主人公二人と、彼らの親友たちとの関係性の優しさ。
作品が打ち出すメッセージの愛しさ。
主にこの3つに心を奪われました、という日記です。
はじめに
「デカダンス」の視聴を始めたのは、姉に勧められたことがきっかけ。
主人公の男と少女のバディが良いよ、と聞いたので。
ただものすごく腰が重いので、視聴を始めたのはアマゾンプライムビデオで9話が配信された頃。遅いな。
まず1話を観る。次の日、2話を観る。それから止まらず、その日のうちに9話まで観る。約一週間後、10話が配信されて観る。数日後、今度はテレビの最速放送を録画して11話を観る。視聴後、ものすごい満足感に包まれ、現在に至る。
カブラギさんとナツメちゃんの関係性
カブラギさんとナツメちゃんが好きだ。
お互いの存在を肯定する、優しい関係性が大好きだ。
まず、冒頭3話。
ナツメちゃんに救われるカブラギさんが良い。言語化しようと内容を思い返していたら泣きそうになってきた、あかんあかん。
ギアたちもタンカーたちも、システムに管理されて縛られている。そんな中で、バグであるナツメちゃんはシステムの管理外にあり、息苦しい世界の中でこの上なく自由な存在だ。カブラギさんにとってなんて眩しい存在なんだろう。
カブラギさんは、ひとの心が分かる優しいひとだ。マイキーがバグとして処分されてしまったことは、彼の心にずっと重くのしかかっていたのではないだろうか。
そんな彼にとって、「バグ」であるナツメちゃんが自由に、明るく生きていることは、どれだけ彼の心を救ったのだろう。
いや実際めちゃくちゃ救ったんだよ。彼に生きる希望を芽生えさせる程度には。
「あの子に救われたんだ」ってまっすぐな言葉が胸に沁みる。いつか本人に伝えてくれないかな……というのが、3話鑑賞時点での祈り。
一方ナツメちゃん。
彼女の義手。親しくない人からはあからさまに揶揄われ、親友のフェイちゃんですら、それを弱みだと思っている。戦士になりたいという願いも、あらゆるひとから否定されてしまう。
そんな中で、カブラギさんはナツメちゃんの「戦士になりたい」という想いを肯定してくれる。彼女が「弱み」だとついに口にしてしまった義手でさえ、「お前の武器だ」と意味を与えてくれる。
ナツメちゃんが周囲に否定されてきてたものを、カブラギさんが一つずつ肯定してくれている。最高だ……
カブラギさんはナツメちゃんに救われ、ナツメちゃんはカブラギさんに救われている。
お互いを救い合ってしまうこの関係性がなんて尊いのだろう。ここまで3話である。3話!?
そして5話。
「俺はそのバグに救われたんだ!!(クソデカ大声)」
頭を抱える。
だからそれを本人に言ってほしい。この距離ならワンチャン聞こえてないか? ないか。
ガドルを倒し、雨のように降り注ぐオキソンを浴びるカブラギさんがとてもかっこいい。カブラギさんのキャラデザが好き。ちょっと眉が切れてるのがいい。
「世界にバグは……必要だ」
頭を抱える。
強い男が好き。大切な人ができて弱くなってしまう、強い男が好きだ。
反対に、大切な人のおかげで強くなる女の子も好きだ。
この二人は、お互いへ向けるやわらかな感情がとても良いなと思う。
ナツメちゃんを見るときのカブラギさんの優しい眼差しが良い。
バグ矯正施設に送られて、ナツメちゃんの無事を聞いた時のカブラギさんの、心の底から安堵したような表情とか。
再会後、ガドル工場への同行をナツメちゃんが二つ返事で了承してくれた時の、カブラギさんの優しい眼差しがたまらない。眩しそうに目を細めるようにも見える。
世界の真相を知った時のナツメちゃんの反応には心がちぎれそうになったけれど、カブラギさんとの日々を思い出して、再び信じてくれるのが嬉しくて泣けてしまった。
二人が過ごした時間にありがとう。
この二人が出会ってくれてよかった。私も、この二人に出会えてよかった。
フェイちゃんとミナトさんについて
私が心奪われたポイントその2、主人公二人と親友たちの関係性。
ナツメちゃんとフェイちゃん、カブラギさんとミナトさんの関係性って似てるなあと、視聴しながら思った。
フェイちゃんもミナトさんも、主人公たちの選ぶ道に賛同できず、突き放す。見ていてとても苦しい。
けれど、彼らが主人公たちを突き放すのは、ひとえにナツメちゃんやカブラギさんを大切に想うからこそなんだ。
大きなことなんて望まなかった。ただ、大切な人がそこにいてくれたらそれでよかった。
けれどナツメちゃんやカブラギさんは、自分が傷つくことを厭わず、どんどん危険な道へ行ってしまう。フェイちゃんとミナトさんは、それが辛くて、理解できないとその手を離してしまう。
それでも、最後にはまた彼らの手を取ってくれるのがよかった。ナツメちゃんがフェイちゃんを抱きしめるのがよかった。
「お前と一緒に戦えたらそれで良かった」と言って道を違えたミナトさんが、11話で再びカブラギさんと共に戦った時の、あの笑顔がものすごくよかった。ミナトさんが笑ってくれてよかった。本当によかった。
この作品は、主人公であるカブラギさんとナツメちゃんの関係性が尊いのは言わずもがな、カブラギさんとミナトさん・ナツメちゃんとフェイちゃんという、主人公とその親友との関係性もとても優しくて良いのが凄いと思う。大好きだ。
人間の愛しさ
心を奪われたポイントその3、この作品のメッセージ性。
11話を見て、本当に満足感に包まれた。
生きるとは何か。
オープニングの「何も望めないのは生きてないと一緒だ」が胸に沁みる。
全てをシステムに決められて従うギアたちには自由意志がない。システムが「バグ」と呼ぶギアたちの意思、不確定要素にこそ意味があり、それが生きるということである。
この、バグを肯定する方針がすごく良いなあと思った。全てを制御しようなんて傲慢だ、というジルの言葉に愛しさを感じてしまった。
人間や、それに限らず生命の可能性というものは、人間が制御できる範疇をきっと遥かに超えている。
バグを肯定することは、人間を肯定しているようで、見ていてすごく気持ちが良かった。
おわりに
本当に、すごく良い作品に出会えたなあ。
次回、最終回、カブラギさんとナツメちゃんの行き着く先を見届けたい。
この作品ならきっと良い結末に辿り着いてくれるだろうという確信があるので、安心して見届けようと思う。みんなが幸せになりますように。
デカダンスに感謝。