ぴかぴかマグパイ

とりとめのない日記

天秤みたいに

考えたことを書き留めるためのブログなので、何も考えずに生きてると全然更新しなくなりますね。

 

めんどくさいオタクであるのと運が悪いのとで、オタク活動の中でつらいこともたくさんある。

推しが死んだり、いつも推しの供給が少なめだったり、解釈違いに囲まれて息ができなくなったり。

けれどそれと同じくらい楽しい事もたくさんあって、好きな漫画家さんにとんでもなく貴重な機会を頂いてしまった事もあったし、自ジャンルで作風がめちゃくちゃ好きなファンの方に出会ったり、ふらっと立ち寄ったさほど大きいとは言えないジャンルに、ものすごい質で何百枚もお描きになってるファンが居たりする。

 

禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、つらいことと同じくらい、というかそれ以上に甘やかされて生きているなあって、思いました。

 

推しは死んでほしくないけどな!!

 

共感は難しい

日記パート。

FGOでバレンタインイベが始まった! 今年からフルボイスだ! 大好きなスパルタクスのシナリオに声がついたのでさっそく聞いた。すごく幸せ。

私にとってのfateスパルタクスの正典は小説のFate/Apocrypha(アニメ?知らない子ですね……)なので、FGOのスパさんの解釈やキャラブレ云々についてはそれなりに思うところがある。思うところはあるけど、まあ、バレンタインはお祭りだから! 深いことを考えず、素直にお祭り気分を楽しんでいる。楽しいな。

メインストーリーの第2部第3章と、その配信に伴うモーション改修が最高だったので、もうこれ以上運営に望むものはない……ありがとう……とかなりの満足感を覚えていたんだけど、さらにボイス追加をしてくれて嬉しい。

解釈とか深く考えてはいけないんだ。これはソシャゲ向けにろ過されたスパルタクスなのだから。とっくに完結済みの原作のApocryphaスパさんの概念をふわふわと楽しめる。そう、ジェネリックスパルタクス。楽しいです。

日記パート終わり。

(下の「考えた事パート」を書いてから日記パートを書いたんだけど、テンションのギャップが大変なことになってしまった。懺悔。)

 

 

オタクをやってる。

 

ジャンルそのものや、推しキャラ、推しCP、という枠組みで測ると「多数派」に入れない事が多い。枠内の人口自体もそうだけど、自分の解釈や愛し方に誇りを持っているのでそこからさらに許容範囲を狭めている節もある。

ネットで探していてあまりに自分と同じ考えの人が見当たらないと、自分がおかしいのではないかと思いそうになることがある。そういう時は「自分は正しい、おかしいとしたら周りの方だ」という盲目なクソデカ自己肯定を握りしめる。そうしないとやってられない。

 

推しキャラや推しCPが被らないと寂しいけど、被ったとしてもその人の解釈にすべて納得できるとは限らないよな〜とも、ふと思った。なぜ共感するのがこんなにも難しいのだろう。見ている作品は同じなのに。

たくさんの人と作品への好きを分かち合いたいけど、自分の愛し方は大事にしたい。まず作品への愛があって、その次に分かち合いがある。分かち合う為に愛し方を曲げたくない。曲げられない信じるものがある。

 

だからまあ、いま共感を覚えられている素敵な人たちは大事にしていきたいと思う。

 

 

ドッペルゲンガー

日記パート。半年くらいじわじわ書いてた論文が出来上がりそうなので心が穏やか!

そしてここ何日かで味わいがいのあるコンテンツをたくさん摂取できて満足度も高い。

シュガーラッシュオンラインに、暁のヨナ最新話にヒロアカ最新話、各所で感想話したり呟いたりしたのでここでは割愛するけどとても面白かった。

日記パート終わり。

 

思ったけど、私はドッペルゲンガーみたいな、キャラクター・ダブルみたいな概念が大好きだ。

ある人物の中の葛藤が、2つの個体に可視化されて表れている、みたいな構図。

(キャラクター・ダブルについて参考→

Is "character double" a term of the literary criticism, and what is the definition of "character double"? | eNotes)

上に挙げたリンク先ではジキルとハイドがキャラクター・ダブルの例に挙げられている。

私が好きな概念は「ドッペルゲンガー」や「キャラクター・ダブル」と完全一致ではない気がする……?けど、かなり近いと思う。

 

つまりニコイチが好きだ。キャラクターAの無意識下の願望をキャラクターBが表している、みたいな。フロイトの「エゴ」としてのAと、Aの「イド」を体現するBみたいな構図。

 

フランケンシュタイン」において、人造人間がその創造主ヴィクター・フランケンシュタインの無意識下の願望を表しているという構図も好きだし、

僕のヒーローアカデミアTHE MOVIE〜2人の英雄〜」で、デヴィット・シールドの願望を敵役のウォルフラムが(しばしば暴力的な形で)体現しているという構図(※個人の解釈です)も好きだし、

シュガー・ラッシュ:オンライン」でラルフがもう1人の自分と体面するのも良かった。

「ヴェノム」(2018)も良かった。

 

「このキャラとこのキャラって、別々の個体だけど実質同一じゃん……!?」みたいな、そんな構図が好き。という自分の性癖を発見した。自己分析(?)。

またそういう要素を見出せる作品に出会えるといいな。

緑色の目をした怪物はエモだ

そういえばこれは日記を書くために始めたブログだったので、あまり「読者」を気にしないで書いてていいやつだと思った。というわけで気楽にやっていきましょう。

 

2018年12月30日、Eテレ中村芝翫主演の舞台「オセロー」を放送していた。

「オセロー」のお話は一度も見たことがなかったんだけど、シェイクスピア作品は色々履修したいなと思っていたので折角だからと録画して見てみた。

 

結果…………今まで触れてきたシェイクスピア作品の中で、ダントツトツトツトツに"""エモ"""を感じた。ド好み。大好き。

 

黒い肌のムーア人であるものの、戦場での功績と誠実さによって名声を確立した主人公のオセロー……を陥れようとするオセローの部下イアーゴーが、ヤバイ。イアーゴーがオセローに対して抱く、嫌悪と嫉妬と欲望の入り混じったクソデカエモーションが、すごい。オセローを陥れる為に親友も妻もみんな手にかけてしまう怪物イアーゴーが、ヤバイ。

 

取り急ぎイアーゴー関連の論文を二、三読んだけど、動機のない悪だと言われる事の多いらしいイアーゴーの動機について論じたこの文でさらにエモを掻き立てられた。→http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/h-bunkyo/file/5586/20140521162904/kenkyukiyo32%2528Mito%2529.pdf

(水戸祥子(1997). イアーゴウの嫉妬 一一異質なるものへの嫉妬と嫌悪一一  広島文教女子大学紀要 32, 97-120)(特に107ページのエモさがヤバイ)

 

(ツイッターでイアーゴーのこのクソデカエモーションのエモみについて語ってる人はいないかと思って検索したら、イアーゴーという「キャラクター」ではなく前述の中村芝翫舞台でイアーゴーを演じた「ジャニーズ」の話で検索結果が埋め尽くされててガクーッとなりました。でも演技は素晴らしかったです)

 

映画化も見たいな〜と思ってインターネットでふらふら探してたら、いつものケネス・ブラナーおじさんがイアーゴー役をやっている版があるらしくて観たくなった。いずれ観たい。

 

こうやってのめりこめる作品に出会うととてもハッピーな気持ちになる! 今年も元気にオタクしていきたい。

 

蛇足。

せっかくなので太字やサイズ変更等々を使ってみようという最近の試み。普段はそういう装飾が一切使えないツイッターでばかり話しているので、こうやって手軽に強調できるのは新鮮だな……ツイッターなら"""強調"""とか書くところだ。(冒頭の強調「エモ」はツイッターの癖で「"""エモ"""」って書いたのちに装飾が使えることを思い出したのであんな風になりました)

201周年

年末に再放送をしていた、青春アドベンチャーフランケンシュタイン | NHK オーディオドラマ

私は「フランケンシュタイン」(原作)が大好きなので関連作品と聞けば軽率に履修している。このオーディオドラマも聞いてみました。

感想を一言でまとめると、

 

最高!!!!!!

 

深呼吸。落ち着いた。

今まで履修してきた「フランケンシュタイン」の各メディア化の中で、(朗読を除き)一番原作に忠実なんじゃないかな? という印象を受けました。

なのでめちゃくちゃ、感動しました。大好きですこのオーディオドラマ。

 

というのも、

何をもって「原作に忠実」とするのかは人それぞれだけど、私はヴィクターとエリザベス、ヴィクターとクラーヴァルの関係性が私の解釈に合っているかを一番に重視する。

ヴィクターは無意識的に結婚から逃げようとしてるといいし、ヴィクターとクラーヴァルが仲良しであればあるほどいい。

しかしこの希望が叶えられるメディア化っていうのはほとんど無い。特に映画化となると、ヴィクターのヘテロ的側面がすごく誇張されたり、エリザベスがかなり能動的になっていたり、クラーヴァルの役割が軽視されていたりする。ともすればクラーヴァルの存在が抹消されてたりする。

もちろん、いいメディア化もある。

2015年の映画版「フランケンシュタイン」(Frankenstein (2015 film) - Wikipedia)はクリーチャー視点の映画で、舞台が現代に移されたりクラーヴァルが存在しなかったりするけど、原作の持つメッセージ性をしっかりと継承しているので私は大大大絶賛してる。

伊藤潤二先生による漫画版「フランケンシュタイン」(Amazon CAPTCHA)は、後半の展開は大きな改変があるものの、かなりクラーヴァルを大事に描いてくださっててとてもよかった。

NTL舞台版「フランケンシュタイン」も大変良かったし。(詳しい感想はこっち→200年越しに愛を - ぴかぴかマグパイ)

 

そんな風に良いメディア化はたくさんあるけれど、クラーヴァルを原作のままに描いてくれるメディア化にはもう一生出会えないのではないかと思っていた。

そんな中で出会った青春アドベンチャー、オーディオドラマのフランケンシュタイン

すごい……すごいんです……クラーヴァルがちゃんと……"""居る"""んです……

感動しました。しかも、短い尺の中で原作での2人の仲の深さを端的に表すためなのか、ヴィクターとクラーヴァルが声を揃えてクラーヴァルの父親の口癖を真似してみたり、ロンドン旅行の際にめちゃくちゃはしゃいでいたりとオリジナル演出が加えられていて私は……

もちろんクラーヴァル以外の点としても、特にクリーチャーの語りは彼の苦しみがぐいぐいと伝わってきて涙を禁じ得なかった。

すごく、良かったです。こんなに良いメディア化に出会う事ができてよかった。再放送してくれてありがとうNHK

 

 

たくさんイベントが催された、「フランケンシュタイン」出版200周年は2018年で終わってしまったので、少し寂しさがある。

でもまあ、今年の終わり頃には「この50年で最も素晴らしいホラー画家の1人と世界的に評価される」Bernie Wrightsonによる挿絵付き「フランケンシュタイン」……のアーティスト・エディションなるものが出版されるらしい。(BERNIE WRIGHTSON’S FRANKENSTEIN Showcased in Upcoming IDW Artist’s Edition – IDW Publishing)

彼の挿絵は本当に美麗で、紙版が見つからなかったのでKindleで購入したのだけど、あまり画質が良くないので紙版が新しく出るのであればぜひ購入したいので、楽しみにしている。

あとは2020年にはミュージカルの「フランケンシュタイン」(日生劇場『フランケンシュタイン』)が再演されるらしい。初演を観た事がないので解釈が合うかは観るまでわからないけど、こちらも楽しみ。

今後も、新しい映画化等々が出るといいな〜!

200周年の年は終わってしまったけど 、これからも楽しんでいきたい。

 

フランケンシュタイン」に出会えてよかった。

200年越しに愛を

フランケンシュタイン」オフ会をやってきました。

 

シネ・リーブル池袋で上映中のベネ様主演舞台「NTL:フランケンシュタイン/カンバーバッチ怪物版」を見て、

https://ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/movie/0538800.html

 

銀座のBar十誡さんで「フランケンシュタイン」イメージのカクテルを飲むという充実っぷり。

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(オフ会時の写真。打ち合わせたわけでもないのに、2人して同じ新潮文庫本を持ってくるという……)

 

同じ小説を好きな人同士が、出版から200年経った今、それを理由に集まることができたということに感慨深さを感じました。とても楽しかったです。

 

 

以下、舞台NTLフランケンシュタインの感想です(※ネタバレ含)

 

とりあえず上映終了直後に出てきた言葉は、

 

「…………………………………………………………………………アリだな」

でした。

 

原作と同一ではないが、いち解釈としてはめちゃくちゃアリ。

この舞台にはヴィクターの親友ヘンリー・クラーヴァルが一切登場しないので、私の「フランケンシュタイン」における最推しの関係性である「ヴィクターとクラーヴァル間の友情」は見られなかったものの……むしろだからこそ、最高でした。このあたりの詳細は後述。

 

ヴィクターよりもクリーチャーが主人公、という印象の構成。物語はクリーチャーが目覚めるところから始まり、そのまま彼が外の世界に出て、ド・ラセー家の元へ辿り着く……といった流れで始まります。

ストーリーの省略、改変はあるけれどけっこう原作に忠実でした。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!

1.二重に描かれる「父対子」の構図!!

「創造物を抑えつけようとするヴィクター」対「それに反抗するクリーチャー」の構図が、

「息子を失敗作と嘆くヴィクター父」対「反抗期ヴィクター」の構図と完全にシンクロしていて大変よかったです。

「父対子」は原作でも大きなテーマの1つとなっているので、それが舞台でもしっかり受け継がれているのは原作クラスタとして好感度が高かったです。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!

2.ヴィクターとクリーチャーが2人で1つなところ!!

終盤でヴィクターがし、死んだ……? となったシーンで、クリーチャーが「私を置いていかないでくれ」「私たちは2人で1つだ」と嘆いていたのを見て、""""理解(わか)""""る…………と思い、涙が出そうになりました。

私は原作においてクリーチャーはヴィクターのイド(無意識下の欲望)だと思って2人を同一だと見なしているので、この台詞のわかりみが、強かったです。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!!!

3.ヴィクター・フランケンシュタインのキャラ解釈!!!!!

これがマジで一番インパクトがあった要素で、これが閉幕後の例の「…………………………………………………………………………アリだな」という感想に大量の三点リーダが存在する理由でした。

 

クライマックスでヴィクターは、「私は愛情や優しさを拒絶してきた」「嫌悪しか理解できなかった」と語ります(台詞はうろ覚えですが)。

 

「嫌悪しか理解できなかった」。

 

最高。

私は原作におけるヴィクターは性的な事に対して恐怖や嫌悪を抱いている、という解釈を持っています。舞台ではこれを「(性的であるか否かにかかわらず)愛情そのものへの拒絶反応」と解釈して描いていた。

なるほどなるほど、とても面白い。面白い解釈だ。

そしてこの台詞を聞いて、この舞台にヘンリー・クラーヴァルが存在しない理由に気づきました。

なぜなら……原作のヴィクターは、クラーヴァルのことを「自分の不完全性を埋めてくれる、自分より賢くて、素晴らしくて、賢い半身」だと嬉々として語ります。クラーヴァルのことを「彼ほど賞賛に値する人間はいない」と言い、何度も何度も彼への(友情的な意味での)愛情を示します。

友人クラーヴァルのおかげで友情を理解したヴィクターは、「私は友人というものを語る資格がある」と言ったりもします。

 

しかし翻って、舞台のヴィクターは「嫌悪しか理解できなかった」と。愛情が理解できなかったと言う。このセリフを聞いた瞬間は、上で語った原作ヴィクターのイメージとあまりにも違ったので、困惑しました。(これが上映直後感想の三点リーダの理由)

けれど、舞台のヴィクターはつまるところ「ヘンリー・クラーヴァルが存在しなかった世界線のヴィクター・フランケンシュタイン」なんだと考えると、腑に落ちたというか、すとんと納得して、「アリ…………」となりました。

というのも、クラーヴァルが居る(原作)のと居ない(舞台)のとでヴィクターの性格がかなり違う。つまりこの舞台はクラーヴァルが存在しない事で、クラーヴァルの存在意義を証明している。彼がヴィクターに及ぼす影響の強さを示唆しているということだ。

なので、クラーヴァルの存在意義を証明するような舞台版ヴィクターのキャラメイクは大変好きです。

(この筋書きのままで舞台にクラーヴァルが登場していたら、たぶん解釈違いでキレていたと思う……)

 

 

「父対子」の構図の強調、ヴィクターとクリーチャーの同一感、ヴィクターのキャラ解釈、の3点が特に「好き……!!」となったところでした。実質ハッピーエンドな終わり方とか、ハリウッド映画みたいに変にヘテロ要素を誇張してないところとか、好感持てる点は他にもたくさんあったけど、際限なくなりそうなので……

 

というわけで、「NTL:フランケンシュタイン/カンバーバッチ怪物版」

https://ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/movie/0538800.html

大変良かったです。

今回見たのはベネ様がクリーチャー役のバージョンだったけど、ベネ様がヴィクターを演じているバージョンも見に行く事にしました。

いやあ……いいものを見た。どうして円盤出てないんですかねッッッッッ

 

コミュニケーション

「Disney’s クリスマス・キャロル」を久しぶりに観た。現在のクリスマスの精霊のビジュアルが好き。原作を再読したくなる。

夢に出てきて以来、The Great Gatsbyも読みたいという気持ちがある。これは映画しか観たことがないので原作は未読。

読みたいものは色々あるけど他の本に手を出す前に、まずは「ハツカネズミと人間」をいい加減読み終えなければ……

 

 

英語で話すのって難しい。と最近思う。

言葉の意味はわかっても、それを使って話したときに意図せず誰かを不快にさせてしまわないかと怖くなる。

オタク活動をする上でけっこう英語ファンダムにも足を突っ込むのだけど、疲れない程度に、うまく付き合っていきたい。