ああ、公明正大な裁判官さまだ!【舞台『ヴェニスの商人』感想】
舞台『ヴェニスの商人』を観てきました。
私はシェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』のオタクでシャイロックが大好きなんですけど、今回の舞台『ヴェニスの商人』(以下、本作)、大満足な舞台だったなあ……
以下、めちゃめちゃネタバレを含む感想です。
メインビジュアルがシャイロック(草彅剛さま)だけという攻めた画なのを見たとき、きっとこの翻案は「シャイロック」を丁寧に扱うんだろうなと感じて、期待に胸膨らませたんですよね。このビジュアル、鏡に反射した構図なのが良い。モノクロの中に浮かぶ心臓のような赤色も良い。シャイロックに限らず登場人物のみんな、「善」や「悪役」だけではない二面性があるし、白と黒で分けられない複雑さがある。
日本青年館ホール。初めて行ったけど良いですね、奥行きの広いステージ。(どうなんだろう、他の劇場よりも広いのかな? セットが簡素だったのでそう感じただけかも) 一番良い種類のチケットを発券したら2階席でちょっとガックリしてたんだけど、役者さん方の前後の動きがよく見渡せて案外良かったのかもしれません。思ったより遠くなくて、肉眼でも表情がよく見えましたし。ただ、二幕で客席に降りたバッサーニオ達がほぼ見切れてたのでそれは残念だったかな🤔まあまあまあ……
そう、舞台装置がほぼほぼ無いんですよ! 元々あるものそのままでやってるのかと思ったくらい。休憩中に検索してみたところ、あの木目の背景はこの作品オリジナルなのかな?*1落ち着いて均整が取れている世界に見えて、実はヒビが入ってズレてしまっているのが、本作の世界観をよく反映しているようで良かったですね。
シャイロック。なんと言ってもシャイロックですよね。草彅剛さまを生で拝見するのは初めてだったんですけど、素晴らしいシャイロックだった……
"悪役"シャイロックと対立する"主人公"であるところのアントーニオをはじめとした面々が、人種や宗教を理由とした嫌悪を表明して憚らない。21世紀の今これをやられるとやっぱり違和感が強くて、その違和感が積もっていった先に「ユダヤ人には目が無いか?」のシャイロックの長台詞がある。*2これは戯曲としても本当に好きな場面で、『ヴェニスの商人』の翻案といえばこれを見に来てるまである。んだけど、本作のそれはその期待に応えてくれるような、本当に良い場面だった。
本作のシャイロック、激しい復讐心の裏に悲しみや怒りが見えるような、多面的な人物なのがすごく良かった。
異教徒というだけで、"人格者"で評判のアントーニオにすら公然と侮辱され、除け者にされる。シャイロックが抱えている悲しみ、そして理不尽な仕打ちに対する怒りが爆発するこの場面、それを演じ切る草彅剛さまの迫力、見ていて心が震えたし、戯曲のオタクとしても大満足の場面だった……
さて、本作の演出について。本作の舞台上にはヴェニスの世界に観客を没入させるような舞台装置はなくて、出てくる道具と言えば最低限の机や椅子といったものだけ。そして何より特徴的なのが、一度幕が開けたら役者陣が舞台の上を去らず、出番が終わったら舞台後方のベンチに戻ることですよね……!
これって私が大好きな、「古典を上演するうえで『その物語を見ている私たち』を意識させるメタ構造」を持つ作品だ……!と思ってワクワクしました。私たちはヴェニスではなく、この舞台の上を見ている。遠い昔の遠い外国の物語ではなく、今ここにいる私たちの物語を見ている。そういう没入感、当事者感を持たせてくれる作品を見るの、好きですねえ……
なので、"良い人"であるはずのアントーニオ達がシャイロックにひどい仕打ちをしているのを見て、不当に虐げられているシャイロックを見て、それを我が身や今の世界に照らしてぞくりとする。
アントーニオは親友のためにその身を差し出せる人格者、でも異教徒という理由でシャイロックを嫌悪する。シャイロックは金にがめつい高利貸し、でもヴェニスの人々に不当な仕打ちを受けている。完璧な善人も悪人もいない、誰もが被害者であり加害者である。そんな曖昧な世界の中で、ヴェニスの市民達はシャイロックを徹底的に破滅させる。
シャイロックは確かに人に殺意を示した加害者だ、それに関しては確かにシャイロックに罪がある。でも、それならなぜ、シャイロックへの嫌悪が社会的に正当なものとして受け入れられ、アントーニオやヴェニスの市民達はなにも咎めを受けないのか? この物語を俯瞰して見ている意識が観客(わたし)にはあるので、その違和感がずっと胸に残る。
最後の裁判の場で、公正な正義を象徴する「天秤」が中央に置かれるのも皮肉的で良いですよね。裁判の場面が終わってそれが舞台上から片付けられる時、天秤を手に取る役者さんが一瞬躊躇するのがまた、この場で行われた"公正な裁き"に疑念を投げかけているようで良い。
裁判で負けて*3全てを奪われたシャイロックが泣きそうな顔で台詞を言う姿がとても胸に迫ったな……
そして裁判の場面が終わった後のシャイロックが……すごく……良かった……! そう、本作は物語の中で出番を終えた登場人物は、「キャラクター」から「役者」に戻って舞台後方に座るんですよね。でも、シャイロックだけはずっと「役者」には戻らず、「シャイロック」のままで座っている気がした。*4
ここで、本作のメタ構造が効いてくるんですよね。舞台の上に登場する大半の者を「物語を演じている役者」だと印象づけたうえで、シャイロックは役者には戻らない=シャイロックは物語のキャラクターではなく生身の人間である、という印象が残る。
裁判の場面を終えたシャイロックは、舞台後方で項垂れたままでいる。前方ではアントーニオや恋人たちの"ハッピーエンド"が繰り広げられる中、傷ついたシャイロックの存在がそこに影を落とす。ハッピーエンドに疑念を抱かせる。
物語の全てが終わって幕が降りる間際、シャイロックはゆっくりと客席に向かって歩いていく。その歩みを止めないまま、暗転。きっとシャイロックは観客席に行ったのだろう。やはりシャイロックは、私たちの中の1人だったのだろう。そう感じさせる結末が、すごく、すごく良かった。
メインビジュアルの印象に違わず、本作はシャイロックがものすごく大事なキーパーソンだったなあ、という印象。そしてそれを見事に全うしてみせた草彅剛さまに感服。悪役、だけども悲哀と怒りを感じさせる、多層的な存在。1人の人間。
キャストの皆様もとても良くて、個人的には大鶴佐助さん演じるグラシアーノが、楽しくて魅力的で好きでした。花婿候補の場面も楽しかったな。
兎にも角にも演出、戯曲の解釈、その表現がすごく良かった! 森新太郎さん、覚えました☝️
いや〜、良いもん観ました。これに尽きます。観に行けてよかったです。ありがとうございました。
*1:パンフレットを読んだところ、本作オリジナルの装置でした。
*2:余談。シェイクスピア執筆当時の英国では、異教徒へ嫌悪を向けることはおそらく世間一般の価値観として正当なものだった。これは現代とは大きな違いですね。
でもじゃあユダヤ教徒であるシャイロックがただの「悪役」として片付けられるべきキャラクターとして描かれているのかと言うとそうではなくて、「ユダヤ人には目が無いか?」の台詞があるように、シャイロックに観客の同情が向くようにシェイクスピアが描いているのも確かである。と、以前彩の国シェイクスピアシリーズの『ヴェニスの商人』勉強会で聞いたことがあるな……と、書いた後でパンフレットを読んだところ、まさにそのお話しをされていた松岡先生がコメントを寄せてくださっていましたね。いつもありがとうございます。
*3:裁判の場面、形勢逆転したところでアントーニオとシャイロックの座る位置が逆転するのも良かったですよね。
*4:一幕の様子を記憶しそびれたんだけど、二幕ではアントーニオも絶望に沈んだまま座っている感じがして、それも良かったです