ぴかぴかマグパイ

とりとめのない日記

200年越しに愛を

フランケンシュタイン」オフ会をやってきました。

 

シネ・リーブル池袋で上映中のベネ様主演舞台「NTL:フランケンシュタイン/カンバーバッチ怪物版」を見て、

https://ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/movie/0538800.html

 

銀座のBar十誡さんで「フランケンシュタイン」イメージのカクテルを飲むという充実っぷり。

f:id:magpie00:20181222224041j:image

(オフ会時の写真。打ち合わせたわけでもないのに、2人して同じ新潮文庫本を持ってくるという……)

 

同じ小説を好きな人同士が、出版から200年経った今、それを理由に集まることができたということに感慨深さを感じました。とても楽しかったです。

 

 

以下、舞台NTLフランケンシュタインの感想です(※ネタバレ含)

 

とりあえず上映終了直後に出てきた言葉は、

 

「…………………………………………………………………………アリだな」

でした。

 

原作と同一ではないが、いち解釈としてはめちゃくちゃアリ。

この舞台にはヴィクターの親友ヘンリー・クラーヴァルが一切登場しないので、私の「フランケンシュタイン」における最推しの関係性である「ヴィクターとクラーヴァル間の友情」は見られなかったものの……むしろだからこそ、最高でした。このあたりの詳細は後述。

 

ヴィクターよりもクリーチャーが主人公、という印象の構成。物語はクリーチャーが目覚めるところから始まり、そのまま彼が外の世界に出て、ド・ラセー家の元へ辿り着く……といった流れで始まります。

ストーリーの省略、改変はあるけれどけっこう原作に忠実でした。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!

1.二重に描かれる「父対子」の構図!!

「創造物を抑えつけようとするヴィクター」対「それに反抗するクリーチャー」の構図が、

「息子を失敗作と嘆くヴィクター父」対「反抗期ヴィクター」の構図と完全にシンクロしていて大変よかったです。

「父対子」は原作でも大きなテーマの1つとなっているので、それが舞台でもしっかり受け継がれているのは原作クラスタとして好感度が高かったです。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!

2.ヴィクターとクリーチャーが2人で1つなところ!!

終盤でヴィクターがし、死んだ……? となったシーンで、クリーチャーが「私を置いていかないでくれ」「私たちは2人で1つだ」と嘆いていたのを見て、""""理解(わか)""""る…………と思い、涙が出そうになりました。

私は原作においてクリーチャーはヴィクターのイド(無意識下の欲望)だと思って2人を同一だと見なしているので、この台詞のわかりみが、強かったです。

 

NTLフランケンシュタインの好きなところ!!!!

3.ヴィクター・フランケンシュタインのキャラ解釈!!!!!

これがマジで一番インパクトがあった要素で、これが閉幕後の例の「…………………………………………………………………………アリだな」という感想に大量の三点リーダが存在する理由でした。

 

クライマックスでヴィクターは、「私は愛情や優しさを拒絶してきた」「嫌悪しか理解できなかった」と語ります(台詞はうろ覚えですが)。

 

「嫌悪しか理解できなかった」。

 

最高。

私は原作におけるヴィクターは性的な事に対して恐怖や嫌悪を抱いている、という解釈を持っています。舞台ではこれを「(性的であるか否かにかかわらず)愛情そのものへの拒絶反応」と解釈して描いていた。

なるほどなるほど、とても面白い。面白い解釈だ。

そしてこの台詞を聞いて、この舞台にヘンリー・クラーヴァルが存在しない理由に気づきました。

なぜなら……原作のヴィクターは、クラーヴァルのことを「自分の不完全性を埋めてくれる、自分より賢くて、素晴らしくて、賢い半身」だと嬉々として語ります。クラーヴァルのことを「彼ほど賞賛に値する人間はいない」と言い、何度も何度も彼への(友情的な意味での)愛情を示します。

友人クラーヴァルのおかげで友情を理解したヴィクターは、「私は友人というものを語る資格がある」と言ったりもします。

 

しかし翻って、舞台のヴィクターは「嫌悪しか理解できなかった」と。愛情が理解できなかったと言う。このセリフを聞いた瞬間は、上で語った原作ヴィクターのイメージとあまりにも違ったので、困惑しました。(これが上映直後感想の三点リーダの理由)

けれど、舞台のヴィクターはつまるところ「ヘンリー・クラーヴァルが存在しなかった世界線のヴィクター・フランケンシュタイン」なんだと考えると、腑に落ちたというか、すとんと納得して、「アリ…………」となりました。

というのも、クラーヴァルが居る(原作)のと居ない(舞台)のとでヴィクターの性格がかなり違う。つまりこの舞台はクラーヴァルが存在しない事で、クラーヴァルの存在意義を証明している。彼がヴィクターに及ぼす影響の強さを示唆しているということだ。

なので、クラーヴァルの存在意義を証明するような舞台版ヴィクターのキャラメイクは大変好きです。

(この筋書きのままで舞台にクラーヴァルが登場していたら、たぶん解釈違いでキレていたと思う……)

 

 

「父対子」の構図の強調、ヴィクターとクリーチャーの同一感、ヴィクターのキャラ解釈、の3点が特に「好き……!!」となったところでした。実質ハッピーエンドな終わり方とか、ハリウッド映画みたいに変にヘテロ要素を誇張してないところとか、好感持てる点は他にもたくさんあったけど、際限なくなりそうなので……

 

というわけで、「NTL:フランケンシュタイン/カンバーバッチ怪物版」

https://ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/movie/0538800.html

大変良かったです。

今回見たのはベネ様がクリーチャー役のバージョンだったけど、ベネ様がヴィクターを演じているバージョンも見に行く事にしました。

いやあ……いいものを見た。どうして円盤出てないんですかねッッッッッ

 

コミュニケーション

「Disney’s クリスマス・キャロル」を久しぶりに観た。現在のクリスマスの精霊のビジュアルが好き。原作を再読したくなる。

夢に出てきて以来、The Great Gatsbyも読みたいという気持ちがある。これは映画しか観たことがないので原作は未読。

読みたいものは色々あるけど他の本に手を出す前に、まずは「ハツカネズミと人間」をいい加減読み終えなければ……

 

 

英語で話すのって難しい。と最近思う。

言葉の意味はわかっても、それを使って話したときに意図せず誰かを不快にさせてしまわないかと怖くなる。

オタク活動をする上でけっこう英語ファンダムにも足を突っ込むのだけど、疲れない程度に、うまく付き合っていきたい。

感想は嬉しい

読書会に参加を申し込んだ。課題本はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」。読書会に参加すること自体が初めてなんだけど、大好きな本なので好奇心が勝った。今年は「フランケンシュタイン」出版200周年だそうなので、色々催されるのも今年だけかもしれない……と思うと、フットワークが軽くなる。わくわく。

 

 

自分の作品に感想をもらえるのは嬉しい。すごく嬉しい。SNSは感想をもらいやすいので健康にいい。

リツイートやリブログ先で何か言われていないかと見にいくのも楽しいけど、直接リプライやコメントを頂ける事に上回る嬉しさってない。その内容が一言だけだろうと、語彙が溶けていようとも(笑)。とってもありがたい。ありがとうございます。

なので私もよく、人の作品に直接感想を言いにいってしまう。作品を見て、昂ぶった気持ちを伝えたくなるので……。迷惑じゃないといいな。

自分のために描いているので何も反応がなくとも自分が見たければ描くんだろうけど、反応があると嬉しくなる。精進します。

 

鏡にはロマンがある

しがない文学部生なので、まったりと論文を書いている。1ヶ月くらい放置してしまってたんだけど、一度手をつけたら筆が乗ってどんどん書き進められている。〆切も近づいてきたので、引き続き頑張りたい。

 

 

小説でも、アニメ、映画、漫画にしても、作品を楽しむ上でインプットって大事だなあと最近思い始めた。

文学部生というわりには笑っちゃうほど読書量が少ないんだけど、その分ひとつひとつが新鮮なので……

何かしら知識を入れておけば、考える引き出しが増える。授業で得た知識なんかを推しジャンルの考察に使えた時は特に嬉しくなる。

 

 

最近は「鏡」というアイテムがアツい。色々な風に考えられるのですごく楽しい……!

 

たとえば、「人の二面性」の象徴としての鏡。スティーブンソンの「ジキルとハイド」で、二重生活を送るジキル博士の自室に大きな姿見が置いてあるのとか。あ〜〜ね、となってニコニコする。1910年版の「フランケンシュタイン」の映画‪(10分程度の無声映画アメリカの図書館が無料公開してくれてる→Watch the First Film Adaptation of Mary Shelley's Frankenstein (1910): It's Newly Restored by the Library of Congress | Open Culture)では、ヴィクター・フランケンシュタインが一瞬、鏡の中の己として自身が作った怪物の姿を見る……っていうのがなんだかとても示唆的で、良かった。

 

または、ラカンが提唱した「鏡像段階」。幼少期の子供は、鏡に映った己を見ることで自我のイメージを形成する、みたいな考え。キャラクターが鏡を見つめるシーンがあったりすると、あ〜自己形成してる〜^^とか考えて楽しくなる。

 

または、「無意識」の表れとしての鏡。無意識的な欲望や恐怖の表れ。この前見たハリーポッターの「アズカバンの囚人」の映画で、目の前にいる人が一番怖いと思うものに変身する妖怪ボガートが、鏡張りのクローゼットに入れられているのはピッタリだな、と思った。

 

鏡はロマンだ。

いろいろと引き出しを増やしていきたい。

 

平安貴族

1人の推しキャラだけを推すということができない。

 

いつも複数の作品を同時に推している状態なので、一途にひとつの作品・ひとりの推しだけを推している人はすごいなあと思う。

でも複数推しはやめられない。

というか、気づいたら複数推しになっている。ジャンルは乗り換えるものではなく増えていくものだから。常時考えて二次創作している推しもいれば、だいぶ落ち着いたけど時折発作のように語り出す推しもいる。

ある作品について語った数分後にまったく別の作品について語ることもあるので、ツイッターのアカウントはジャンルごとに分ける方が向いているという事に最近気づいた。

 

何はともあれ、自分の好きなものを推していきたい。

生活の質は推しに左右される

暇さえあれば推しのことを考えているオタクなので、日々のテンションが推しの動向にかなり引っ張られる。

推しが幸せなら「幸せだなぁ」という考えで頭が埋め尽くされるし、死んじゃダメな推し(注)が亡くなれば「悲しい……」と気分が沈み続ける。ので、私にとって推しの動向というのはとても重要。

(注:この世には「死んじゃダメな推し」と「死んでも大丈夫な推し(悪党とか)」の二種類の推しが存在します)

 

今年は推しに恵まれた年だった。

各作品の推しに活躍の場が与えられ、幸せそうで、本当に本当に信じられないほど恵まれていた。長年のシリーズ物の推しが最新作で亡くなって、地獄のようだった去年の反動かな……

 

来年も、推しも私も幸せに過ごせる年になるといいな。